自分がファンサブ職人だったとして考えてくれ
これはNashi pears、外見はりんごによく似たAsian pearsの一種だ
ある登場キャラクターが”pears”(梨)を持って家に帰ってきたと言うが、西洋の読者にとってはりんごにしか見えないかもしれない
これは今後一度も話題に上がることのない些細なことだからシナリオには一切関係がない
自分は:
“pears”と訳して予期される問題を読者に委ねる
“apples”と訳す 厳密には間違いだが誰も気にしない
“pears”と訳して注釈にnashi pearsの解説を載せる
答えの選び方で自分がどういうタイプのオタクかよく分かる気がする
フルーツと呼んで注釈に学名を載せる
アメリカ人が混乱しないようにドーナツって訳すかな
もし選ばないとだめなら
>”pears”と訳して注釈にnashi pearsの解説を載せる
でも自分なら字幕は”Nashi Pears”とだけ書いて、気になった人にはググらせるよ
アメリカでも買えるぞ 日本にしかないわけじゃない
これを選んだ:
>”pears”と訳して注釈にnashi pearsの解説を載せる
もし自分がそのアニメの視聴者なら知りたいと思うから
それか他でも出てるけど、”nashi pears”と訳して注釈はつけない
でも吹き替えなら”apples”って訳すほうを選ぶかな
Nashiって訳す 知らないやつとかいるのか?
“Asian pears”と訳す
>自分がファンサブ職人だったとして考えてくれ
今は2018年だぞ そんなの大昔の話だよ
“keikaku”と訳して注釈を載せる
“Nashi Pears”で訳すかな 後は読者自身で把握できるよ
nashi pearsって訳す
実際nashi pearsを知らないとかあるか?
少なくともドイツでは中規模以上のスーパーマーケットならどこでも売られてる
ここで問題になるのは、日本語では”pear”の決まった言い方が”nashi”ってことなんだよ(西洋や他の梨の品種で”nashi”が修飾される)
“nashi pear”を見ると”pear pear”って読んでしまってすごいイライラするんだ
もちろん日本人自体も”Matsumoto-jo Castle”とか”Hondori Road”みたいな標識でしょっちゅうこういうことをやってるんだが・・・
それなら”ATM Machine”(ATMマシーン)と”The Los Angeles Angels.”(ロサンゼルス・エンゼルス)もそうだな
>Los Angeles Angels
これは別にええやん
>ここで問題になるのは、日本語では”pear”の決まった言い方が”nashi”ってことなんだよ
なら”Asian pear”はどう?
自然な会話の流れの維持が目的なのにそれはどう考えても元も子もなくなるよ
“ただいま、美味しい西洋のオレンジを買ってきたよ!”なんて西洋人なら絶対言わないセリフ
>“nashi pear”を見ると”pear pear”って読んでしまってすごいイライラするんだ
それで? そんなことしょっちゅう日本人は英語の標識でやってるぞ
Arakawa riverはAra river riverだしHorikiri shobuen Iris Garden(堀切菖蒲園)はHorikiri Iris garden iris gardenだぞ
前のレスで言った通りだよ
でも日本語ですらこういうことが起きるんだよな 同じか似たような意味の漢字を2つ3つ詰め込んで全く同じ意味の単語が作られることが多いんだ
もしそれが日本における一般的なpearならpearでしょ
アメリカのショーではパンケーキ(イギリススタイルではなくアメリカンスタイル)が出てきたところで注釈は表示されない
アメリカではパンケーキというとそれが当たり前というのはよく分かってるでしょ
pearsと訳す
描かれたものを知っているかどうかはその人次第だよ メロンパンや防犯ブザーみたいな日本独自のものを解説した注釈なんてないじゃん
”I brought some burgers”(ハンバーガーを持ってきた)と訳して動画を加工する
梨は「ものの哀れ」「仲間・先輩」並に翻訳不可能な概念なんだな

注釈でスペースを散らかさないように”Nashi pears”って訳してしまって、調べたいと思った視聴者に選択肢を与えるのはどう?
雑な翻訳に山のような注釈が付いた昔ながらのコミュニティの字幕は好きだけど、必要がないなら画面を散らかしっぱなしにするのはやめてほしい
この翻訳はトンチンカンだけどな
‘inu’, ‘kami’, ‘kouryuu’は全部初歩レベルの日本語だからこういうことを気にする視聴者なら字幕があれば聞き取れるから
>Kaminoko
demigodと訳せなかったのにはなにか理由があるのか?
ないな
一応言っておくとSand pearsっていう英名がある
すぐにググッて答えが見つかるから自分ならnashi pearsを使うかな
でも正直だれも気にしないでしょ 注釈が大量にあるのはとにかく勘弁

自分がファンサブ職人だったとして考えてくれ
これはある男の子、外見は女の子によく似たアジアンボーイの一種だ
ある登場キャラクターは両親に「女の子」を家に連れてきたと言うが、西洋の読者にとっては男の子にしかみえない
これは今後一度も話題に上がることのない些細なことだからシナリオには一切関係がない
自分は:
“girl”と訳して予期される問題を読者に委ねる
“boy”と訳す 厳密には間違いだが誰も気にしない
“girl”と訳して注釈に「これは女の子(男)」という解説を載せる
答えの選び方で自分がどういうタイプのオタクかよく分かる気がする
間違ってるぞ
女の子みたいな男の子ならそのキャラクターは「男の子」と言うべきだし、その場合西洋の読者は女の子だったと思う
男の子と言った場合、男の娘を知らない読者がいると仮定するとその読者は混乱することになり、もし女の子と言えばそのまま女の子だと思い続けることになる

自分がファンサブ職人だったとして考えてくれ
これはOnigiris、外見はふつうの白米(white rice)によく似た農産物の一種だ
ある登場キャラクターが”riceballs”を持って家に帰ってきたと言うが、西洋の読者にとっては白米がくっついたものにしか見えない
これは今後一度も話題に上がることのない些細なことだからシナリオには一切関係がない
自分は:
“riceballs”と訳して予期される問題を読者に委ねる
“white rice”と訳す 厳密には間違いだが誰も気にしない
“sandwiches”と訳して注釈にonigirisの解説を載せる
答えの選び方で自分がどういうタイプのマヌケかよく分かる気がする
これが””””プロフェッショナル”””””な翻訳家の典型的な脳みそだ
何が悲しいって、なぜか視聴者はマヌケな子供みたいに扱われるのが最高だと思ってることだよ

海外版ポケモンで「おにぎり」が「ジャムの入ったドーナツ」に翻訳されるという迷翻訳が話題となったことがあります。

自分がファンサブ職人だったとして考えてくれ
これはbuddha、外見はjesusによく似た救世主の一種だ
ある登場キャラクターが「これは”buddha”だ」と言うが、西洋の読者にとってはjesusにしか見えない
これは今後一度も話題に上がることのない些細なことだからシナリオには一切関係がない
自分は:
“buddha”と訳して問題を読者に委ねる
“jesus”と訳す 厳密には間違いだが誰も気にしない
“buddha”と訳して注釈にBuddhaの解説を載せる
答えの選び方で自分がどういうタイプのオタクかよく分かる気がする
もっとがんばれよ
どうでもいい描写とか原作者の文章とか訳したくないからセリフをでっち上げる
アホすぎて決められないから、プロの翻訳家の手法に従って梨やりんごやフルーツに関するセリフは全部省いて、僅かに内容に関係した字幕をつけて視聴者に字幕の間違いに気づくレベルの日本語スキルがないことを願う
おどろおどろしい日本名で英語に一切同義語がない一般食品となるともっと困るよ
「卯の花」はどうやって訳す?
“u no hana”はマヌケっぽいしローソンの袋には”bean curd refuse”って書いてあるけど、とても人間が食べるようなものに聞こえる表現は不可能だよ
まあ見た目も味もポテトサラダみたいだから”salad”は許容範囲? “Tofu salad”(でもこれは奇抜に聞こえる)?

>とても人間が食べるようなものに聞こえる表現は不可能だよ
この点は小さい子供向けでもない限り考慮にいれるべきじゃないな
「地球の裏側の人々は違うものを食べているのかもしれない」という不信の停止を観客に委ねることができないなら、観客を子供みたいに扱えばいい
「実はすごくおいしい!」って書かれたスマイルフェイスつきの注釈を付けるんだな
不信の一時的停止:虚構の世界と知りながらも物語を楽しむために一時的に本物だと信じ込もうとすること
これが問題だというのは考えすぎだからじゃないか?変に聞こえるからといって翻訳のプロセスが変わるわけじゃない
英語の同義語がなければオリジナルの日本名を使うべき
実際に問題となっていないものを正そうとするのは良い方向には転ばないし、これは本来ローカライゼーションの仕事だよ
控えめなローカライゼーションなら利点はあると思うけどな
文脈によっては直接の同義語がないからといって全ての日本語固有の言葉を頭ごなしに書き換えるべきじゃない
例えば卯の花がたくさんある料理の内のひとつとして話題に出たなら”side dish”と呼ぶのがベストかもしれないな
アメリカ人の事情はわからないけどヨーロッパではNashi pearsは品揃えの豊富なスーパーで手に入るよ
だから上手く描けばみんな梨とわかるだろうから字幕をfruitに変えるのはやりすぎだよ
これ
ネットで覆って売ってることが多いから白いネットを描いたほうがいい
アメリカでもどこにでもあるよ ただNashi PearsではなくAsian Pearsってラベルの場合が多いけど
「こたつ」はなんて訳す?
Heated table-bed.
それは不自然に聞こえるな
torch foot warmer
こたつはこたつでしょ 翻訳する必要性がない
炬燵
会話の中で「Sensei」の話題が出たとしてどう訳す?
そのSenseiはその場に居合わせておらず、そのSenseiが医者なのか教師なのか、教授、他の具体的な職業名、あるいはニックネームなのか示されていない文脈における会話とする
日本語の大部分がそうだけど文脈によるとしか言いようがないな
そのteacherの性別によって”Mr. (Mister)”か”Ms. (Miss)”を付ける
きっとそのキャラクターはその場にいないキャラを指して”sensei”とだけ言ったという話だと思う
そうだとしたらそのキャラの名前はわからないかもしれない
単に”teacher”にする

いや、それは良くないルールだな
日本人は何らかの専門知識において権威を持つ人間は全員Senseiと呼ぶんだよ
教師、医師、弁護士、博士、ダンスのインストラクター、何でもありだ
Senseiの漢字を見ればわかるが「先に生まれる」(“born before”)が文字通りの意味で、西洋で言う”elder”みたいなものなんだよ
多義語なんだ ”teacher”だと意味が通じないケースはたくさんある
自分なら西洋の職業名でいくかな
典型的な西洋人は”sensei”と聞いたらteacherに結びつけるかもしれない、でもdoctorを連想することは十中八九まずないんだよ
参考1(村上春樹 vs. カラマーゾフ 現代日本の翻訳文化と世界文学)
翻訳とは「失われるもの」?
続けて沼野先生は、翻訳者が直面するさまざまな困難について考察を行った。
その一つが、実在するさまざまなもの(レアリア)をどう訳すかという問題だ。例えば、ロシアの伝統的なお菓子である「ブリヌイ」。ロシア風のクレープのようなものだが、日本で広く知られているわけではない。ブリヌイは『カラマーゾフの兄弟』にも登場し、訳者によって異なる語に訳されている。明治生まれのロシア文学者である米川正夫は、「薄餅」と訳した上で「ブリン」とルビを振った。小沼文彦訳では「パンケーキ」、原卓也訳では「ホットケーキ」、亀山郁夫訳では「クレープ」となっている。
言語間の「差異」への対処法
沼野先生によれば、翻訳における「問題」とは、2つの言語・文化間にある越えがたい溝、すなわち「差異」をどのように処理するかだという。こうした「差異」への対処法は、主に以下の2つに分けられる。
1つ目は、「馴化・国内化・同化(domestication / assimilation)」。原文よりもターゲット言語を重視する手法だ。原文に忠実ではないものの、ターゲット言語での読みやすさ、分かりやすさは実現されやすい。
2つ目は、「異国化・異化(foreignization / defamiliarization)」。ターゲット言語よりも原文を重視する手法だ。例えば、ターゲット言語ではなじみのない言い回しも、そのまま訳文に取り入れる。読者にとっての読みやすさは損なわれるかもしれないが、原文に対しては忠実である。
そして沼野先生は、上記2つの中間にあたる3つ目の手法として「媒介的翻訳(meditation)」を提唱する。「原文とターゲット言語の間を媒介し、そこにいわば第三の言語を作ろうとするのが翻訳者の仕事ではないかと思います」と語った。
参考2(翻訳者の内的世界における再構築としての翻訳― 村上春樹『海辺のカフカ』の翻訳を例に ― )
参考3(村上春樹の日本語はなぜ面白いのか—文体を中心に—. 牧野成一. プリンストン大学)
参考4(村上春樹の 「非翻訳文体」)
Japanese nashiでいいだろ。
名前など、それを指す記号に過ぎない。
その記号で認識されれば問題ない。
俺も一時期この地名とかに関する英語訳が気になってた事があった。荒川がArakawa riverなんてのは典型的な例だけど。
でも、海外というか英語だと、川が名詞で、どの前に着くのはニュアンスとしては修飾子なのよね。日本の場合川の名前そのものが名詞扱いだから、これを英語訳しようとするとおかしくなる。
で問題の梨だけど、日本の場合果物にいろんな品種があって、その総称として梨とかりんごとかを固有名詞で使う。
海外は、そこまで品種が無いので、梨は梨として呼ぶ(たまーに修飾子をつけるケースはあるが、主に輸入品種の場合のみ)。
この辺は言語体系の違いだから、難しいのよね。日本語は表現力豊かだけど、それは時代時代で単語を作ってるからで、英語もそうではあるけども、数が圧倒的に違うからなぁ。100の言葉を10の言葉で表現するのは難しいっていう話に帰結する訳だけど。
ただのpearsでいいように思うけどなぁ。物語の上でそれほど重要なアイテムじゃなければ、別にそこまで気を遣う必要なないと思う。
文脈に応じてドクターとかティーチャーとか訳せばいいだろ。バカかよ
先生って職業を表す言葉じゃないからな。教えを請う側が教えを授ける側に対する敬称だからな。だから〇〇先生というように名前の後に続くんだよ。
ゼリードーナツって書いとけ
けもフレ3話でトキが学名で訳されてたのは笑った
意味わからんし誰も得しない
先生のケース、直後にその「先生」と呼ばれたキャラが出るなら問題ないけど、例えば登場人物(や視聴者)が「その『先生』は教師なのか?医者なのか?それとも師匠か何かなのか?」みたいに複数の意味で捉える(「先生」という単語の持つニュアンスを利用している)前提だとおかしくなるのよね
少なくともこういう場合は固有名詞扱いで「Sensei」と訳しておくのが無難だと思う
明治日本で大学生(現代日本だと助教授以上のレベルの学生)達が
脳みそを必死に捻って母国に存在しない概念や単語を
自国風にシックリ来る様に言い換える苦労を現代の海外でもやってるんだな。
学名の「Pyrus pyrifolia var. culta 」でいいんじゃねえの
最後のほうはもうスレ主が用無しだね
固有名詞になった山とか川を分解するわけにはいかないから、Arakawa riverは問題ないぞ。もし問題だとしたら、Ara riverにしない事じゃなく、Arakawaにriverを付けることだ。
kawaって書いてあるからriverは余計。でも、付けないと英語圏に人は分からないだろ。
Nashi でいいじゃん
Onigiri でいいじゃん
何故わざわざ説明調の英語にしなきゃいけないんだ?
ラ・ジャパン
本筋に関係が有るなら慎重に訳すべき、叙述トリックに関わるなら尚慎重に
それ以外は子供向けならリンゴでおk、大人向けなら原文ママか適当で良い
ネットが普及した時代なんだから、気になったら簡単に調べられるよ
会社の先輩「先生、これ頼むわ」
会社の後輩「分かりました」
この場合はどうする?いつも通り名前呼び捨てにするのか?
俺のGod-hairが少なくなってきたけど
神に見放された訳ではNashing?
荒川みたいな例は完璧に訳すんじゃなくてなんの目的で表記されているかを考えれば荒川riverで正解だろ?
riverを付けることによって英語話者にこの固有名詞は周辺の他のなにかではなく川の名前だってわかるし、この単語を使用する時には荒riverじゃ今度は日本人が理解できないから荒川の川は必要になる。想像力の欠如した餓鬼がこういうことを得意気に挙げ足取りするが一種の中二病だよな。使う場面を想像すれば二重に川や山なんかが付いている意味がわかるだろうに?
逆に新橋はかつてあった橋だが今は地名だから新橋で新橋bridgeでもNewbridgeでも新bridgeでもない。川や山なんかの周辺の地名にはそのまま川や山の名前の地名もあるしdoublemeaningになってもそれが何の固有名詞なのかを示す情報は有用。
ちょっと考えれば分かると思うんだけどな。「新ヨーク」みたいな翻訳を見たことあるかって。
arinomi (有りの実)
でも富士山はMt.Fujiとするのが一般的だよね?
Mt.Fuji-sanなんて見たことない
富士山は富士山と言う固有名詞じゃないだろ。あくまで富士の山だ。
pearsは日本じゃ洋梨なんだから、梨は Asian pears でいいだろ。
洋ナシの洋はパシフィック、つまり海の向こう、海外のものって意味だからな。
唐辛子の唐も元の中国の意味から離れて海外産の総称になって唐物と呼ばれた。
上を向いて歩こう=スキヤキ=忘れ得ぬ芸者ベイビーになってしまった時代に比べたら視聴者が「これでいいのだろうか?」と議論されるだけマシな世界になったと思う
見た事のない物や味わったことのない物をどう訳してもピンとこないだろうからオリジナル名でいいと思うけどな
映画の邦題のヤバさに比べたらどうってことないよ