海外の反応「BANANA FISH」第24話 感想「ライ麦畑でつかまえて The Catcher in the Rye」

#24 ライ麦畑でつかまえて
The Catcher in the Rye

Story
ゴルツィネを人質に捕虜たちの解放を求めたアッシュだったが、フォックスの裏切りにより、アッシュはフォックスの手におちてしまう。
ケイン、シン、ブランカはアッシュと捕虜を助けるために動き出す。
英二は病院で日本への帰国を決めるが、アッシュのことが気掛かりで…。

Stuff
脚本:瀬古浩司
絵コンテ:内海紘子、久木晃嗣
演出:内海紘子、徳土大介
総作画監督:林明美、山田歩

Synopsis
Nature made Ash Lynx beautiful; nurture made him a cold ruthless killer. A runaway brought up as the adopted heir and sex toy of “Papa” Dino Golzine, Ash, now at the rebellious age of seventeen, forsakes the kingdom held out by the devil who raised him. But the hideous secret that drove Ash’s older brother mad in Vietnam has suddenly fallen into Papa’s insatiably ambitious hands—and it’s exactly the wrong time for Eiji Okumura, a pure-hearted young photographer from Japan, to make Ash Lynx’s acquaintance…
(Source: VIZ Media)

まず初めに、長文でごめんなさい。

エンディングはきっと整理が難しいので、自分なりの解釈を載せてみます。
「正しい」見方というものはないけれど、このエンディングは作中で起こったあらゆる出来事の集大成のため、見かけ以上に繊細な描写がされています。

 

アッシュの犠牲

「そんな顔するな。俺は死を恐れたことはない。だが死にたいと思ったこともない」

アッシュは死を決意しましたが、これは13話でアッシュ自身が語った「俺は死を恐れたことはない。だが死にたいと思ったこともない。」という台詞と矛盾すると感じられるかもしれません。
心の片隅で「死んだほうがましだ。」と思うことが何度もあったアッシュですが、やはり自分から死を求めることはありませんでした。

 

しかし18話で描かれたように、自分が死ぬことでエイジの安全が確保される場合には迷わず死を選ぶ。これはエンディングも同様です。

この解釈はJ.D.サリンジャーの短編「バナナフィッシュにうってつけの日」、同じくサリンジャーの小説「ライ麦畑でつかまえて」と繋がっています。
(「バナナフィッシュにうってつけの日」はこのアニメのタイトルの元になった作品で、「ライ麦畑でつかまえて」は最終話のタイトルや、2期のエンディング映像のモチーフにもなっている)

「バナナフィッシュにうってつけの日」において着目すべきは、汚れを知らない子供シビルに充実した人生を送って欲しいという思いから主人公シーモアが殉教者になるところです。
「ライ麦畑でつかまえて」においても「犠牲」「純真を守りぬく」といったテーマがはっきりと見て取れます。

 

アッシュはラオに刺された際に「まだ敵はどこかに潜んでいる。もしエイジが自分を探しにアメリカへ戻ってきたら、また危険にさらすことになる。」と悟ります。
憎しみの対象であるアッシュ自身が死ねば、エイジが狙われる理由はなくなる。それ以外にエイジの身の安全を確実に保証できる手立てはない。

だからこそ、アッシュはこれ以上エイジを傷つけないために自らの命を犠牲にしたのです。

 

「神様…俺を代わりに…」

また、前回のエピソードには自分の命と引き換えにエイジを救って欲しいと神に懇願するシーンがあります。
したがって「神が祈りに答えてくれたのだと理解し、エイジを負傷から回復させてくれたことの代償を受け入れた。」という解釈もできます。

 

運命とアッシュのキャラクター

「運命からは逃れられない定めであることを悟り、安息の地など得られないと諦めた。」
この解釈は先程とは異なる、ごくありふれた表層的な解釈です。
私はこの解釈に強く反対します。

この作品は運命という概念を深く追求していて、その中心的役割を担うのはアッシュを虐げてきたキャラクターたちです。

なぜ運命と虐待という要素が密接に関わり合っているのか。
それは、この作品が「性的暴行とは権力濫用の延長線上にあるもの」という立場で一貫していることに理由があります。
権力が濫用されると、犠牲者は抗えない。運命もまた抗えないという点では同様です。

 

「君がムッシュから逃れようとするのはかつて彼の愛玩物だったからだ。彼の元に戻れば支配されてしまうのが分かっているんだろう?」

運命を比喩的に象徴しているキャラクターはディノ、コルシカマフィアと手を組んだキッパードとフォックスです。
彼らはアッシュを虐げ、欲望を押し付ける。
彼らはアッシュが逃れようとしていた過去と未来そのものでした。

しかし、どのキャラクターもアッシュに「致命傷」を与えることなく死んでいきます。
アッシュは運命を変え、虐げられた過去という足枷から抜け出し自由になった。
アッシュは屈しなかったのです。

 

急所を刺されなかったという点からも、アッシュの持つ主体的な意志が運命にまさっていたことが分かります。

では、なぜアッシュは死を選んだのか。

この質問に答えるには、短編小説「キリマンジャロの雪」とバナナフィッシュの共通点に注目する必要があります。
「キリマンジャロの雪」は、自由を追い求めるアッシュの人生に対するメタファーとなっていて、「ディノを倒すために取った行動の一つ一つが、結果的にキリマンジャロを登る歩みとなってしまう。」という形で比喩されています。

アッシュは自由を手に入れるという目的を成し遂げてしまったので、もはや後戻りのできない結末が待ち受けているのです。

 

「そして君はヒョウじゃない。そうだろ?」

しかし、ここである疑問が頭をもたげます。

「アッシュは人なのか、ヒョウなのか?」

ここから先は悪趣味な解釈になりますが、私たちは視聴者なのでどちらを選択するかは各人の自由です。
ほとんどの視聴者はエイジの考え方を支持すると思います。
つまりアッシュは犠牲者であり、人であり、もう一度やりなおすチャンスがあってしかるべき、という考え方。

しかしアッシュにとっての自分とは、取り返しの付かないことをしてしまった怪物でありヒョウなのです。
バナナフィッシュはさまざまなアメリカ文学作品をモチーフにしていますが、「キリマンジャロの雪」はアッシュの人生観そのものであるが故に、アッシュが言及した唯一の作品となっています。

このようにアッシュの自己認識は屈折しているため、アッシュの人間性という視点から眺めてもあのエンディングは納得がいきます。

 

明確な描写はないものの、アッシュの死は自殺と捉えることができます。
そうすると、「どうしてこうなったんだろう」「原因は何だったんだろう」という疑問が湧いてきます。

一番の要因は「言葉」です。
言葉は人を傷つけたり、思いもよらない形で影響を及ぼすものです。
アッシュは死なずにすんだかもしれないのに、言葉が再起不能のダメージを与えてしまったのです。

もしユエルンがラオやシンの仲間を脅さなかったら。
もしシンが優秀なリーダーで、ラオとアッシュの対立を丸く収めることができたら。
もしラオがアッシュを怪物と呼ばなかったら。
もしブランカがエイジから離れようとしないアッシュを非難しなかったら。

違う結果になっていたかもしれない。

 

「アッシュのこと考えてるの?あの子のことだもの。きっと無事よ」

ケインとジェシカの何気ない「アッシュは大丈夫」という発言も、間接的ではあれど、アッシュが必要な助けを得られなかった一因となってしまった。

もちろん彼らもまたこの悲劇の犠牲者であり、誰にも責任はないし責めるべきでもありませんが、そうした一つ一つの小さな関わり合いが違いとなって現れるのです。

 

「吐き気がする…自分自身に…!」

身を粉にしてエイジを守ろうとしてきたアッシュですが、19話でゴルツィネ邸宅に軟禁されてからは完全にその意志を失ってしまい、ノイローゼになってしまう。
それ以来アッシュの精神には亀裂が走るようになり、アッシュが見せまいとしても、エイジが癒やそうとしても、アッシュの精神状態は好転することなく悪化しつづける。

そしてエイジが撃たれた瞬間、ついに最悪の状態を迎えてしまう。

その後のアッシュは、エイジが撃たれた事件から完全に立ち直ることができず、紙一重のところで留まっていた。
しかし、ラオの行動によりさらなる自責の念に駆られ、限界を超えてしまう。

このエンディングはアッシュを追い詰める結果となってしまった小さなパズルのピースたちの集大成なのです。
アッシュが逆境をものともしない屈強な人間であることは間違いありませんが、人間は誰しも揺れ動きます。過ちのない人間はいません。

 

「こいつにとっちゃあの日本人以外人間じゃねえんだよ!何でそんなことが分からねえんだ!お前らの目は節穴か!?こんなやつに命を預けるのか!?この血も涙もない化け物に!」

アッシュを刺した人物がラオだったというのは、バナナフィッシュのテーマにとって極めて重要な点です。
物語を俯瞰してみると、ラオはディノやコルシカマフィアと関わりがなく、運命という概念と無関係な存在です。 
ラオはチャイニーズギャングのメンバーで、中国人犯罪組織の下で活動しています。

チャイニーズマフィアと関わりのある登場人物が掘り下げるのは「愛」というテーマであり、とりわけ愛の持つ負の側面に重心が置かれています。
このテーマを象徴する人物はユエルン、ラオ、シンであり、ユエルンは愛を持たず、ラオは弟のみを愛し、シンは全員を平等に愛しています。

 

ラオがアッシュに対して反感を覚えたのはシンを愛していたからでした。誰かの操り人形にはなって欲しくなかったのです。

しかし、エイジが撃たれて激情に駆られたアッシュがシンを撃とうするのを見て、反感は憎悪となってしまう。
それに加えて、アッシュはシンを守ろうとしたラオを傷つけてしまった。

ラオがアッシュに対して憎悪を募らせ、ナイフをつき立てるという強硬手段を取ったのは、最後の最後までシンを愛していたからこそでした。
ラオ自身、漫画では「お前にシンは殺させねえ。」と発言しています。

運命でも直接的な因果でもなく、愛の持つ負の側面、つまり、愛するものを守ることの代償がアッシュの死の一因となったのです。

 

「彼はひっそりとそこにいました。暴力や争いとはまるで無縁のように物静かで…
でも孤独だった。それはもう例えようのないくらい壮絶な孤独でした」

しかし、アッシュはこの結末を「業」と捉えました。
アッシュが「一人になりたい時」によく向かう場所は図書館でした。その図書館で息を引き取ったのは象徴的です。

ラオの取った行動によってアッシュは孤独になり、さらには自尊心や自己肯定感も落ちるところまで落ちたはずです。
自分が傷つけた人間にナイフを突き立てられた瞬間、アッシュがこれまで抱え込んできた自己嫌悪や自責の念がいっぺんに報われたのです。

ラオだけでなくエイジも撃たれたばかり。それだけでなく、心の底でアッシュはまだショーターの死に対する罪悪感を感じていました。
物理的に銃の引き金を引いたというだけではなく、敵に屈服し、ショーターをこの苦難に巻き込んでしまったことも。

アッシュはその全てに罪の意識を感じていました。
自分は死ぬべき人間であり、これは自分が犯した全ての「過ち」の「業」なのだと。
アッシュにとっての「アッシュ」とは、キリマンジャロの頂上に上り詰めたヒョウであり、救いがたい怪物なのです。

 

まとめ(のようなもの)

「君は何度も僕に聞いたね「俺が恐ろしいか?」と。でも僕は君のことを恐ろしいと思ったことは一度もないんだ」

バナナフィッシュは、アスラン、アッシュ、その両者の魂を持った中間体からなる表裏一体の物語です。 

アスランは過去に起きた出来事に苦しみながらも徐々に幸せを感じられるようになっていった子供の姿で、エイジはこの姿を呼び覚まそうと一生懸命がんばっていた。
アッシュはいつも私たちの前に見せる姿で、徐々に罪悪感に押しつぶされていった大人の姿。

エイジの手紙を読んだことで一旦はアスランが目を覚ますものの、一瞬でラオに打ち破られてしまう。
アッシュが追い詰められた時にアスランが消えてしまわないよう繋ぎ止めるロープの役割を担っていたのがエイジでした。

しかし今回はエイジが傍にいない。
ラオは、アッシュが一人でもアスランを手放さずにいられるかどうか、すなわち自分のために生きることができるのかということを試す最後の試金石となった。

しかし・・・アッシュは失敗し、アスランは永遠に消えてしまう。

 

バナナフィッシュが私たちに語りかけるのは「自分は愛される資格がないのだ、と感じてしまう人にはこんなにも恐ろしい悲劇が降りかかってしまう」ということで、心を健康に保つことがいかに大切かを強くアピールしています。

他人を慈悲深く愛しすぎたがゆえに、アッシュは何もかもを自分の責任にしてしまいました。
アッシュが微笑みながら息を引き取ったのは、エイジが無事で、これからも無事でいられるということが分かって満足できたという、ただそれだけの理由でした。
自分のした「罪深い行い」を赦せなかったため、生きて幸せを掴もうなどとは考えなかった。ハッピーエンドを迎える資格など自分にはないと、そう思ったのです。

アッシュが敗北したのは自分自身でした。
弱さを克服していればこのような結末にならずに済んだのに、自分を犠牲にして破滅へと突き進んでしまうスタンスを変えられずに、この結末を招いてしまったのです。

後日、加筆を予定しています。

ソース:Reddit

19 Comments

当時の人

じゃあどう思うのさ?と聞かれたらうまくこたえられないけど…
自分の感じたこととは全然違ったわーw
一つの解釈として考えるのは自由だから
間違いだとは言わないけどね
でもいろんな解釈が聞きたいので、こういう記事はありがたいです(^^)
ありがとうございます

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匿名

原作は未読。アニメ視聴だけ。
すっかり終わって振り返ってみると、この作品はつくづく「アッシュ、アッシュ」だったなと思った。
多くの登場人物がアッシュを中心として回り、全員がアッシュを「語る」。
始終アッシュとはこんな人ですよ、と語った作品。
アッシュ本人の意思とは関係なく皆が惹かれて行く。
そんな圧倒的な魅力を持つキャラクターのおかげでその点がブレない。
ちょっとやりすぎ感もある程のアッシュの美味しい設定満載。
そこら辺が時代を感じてしまった。

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翻訳ありがとうございます

アニメでは台詞がカットされてるから仕方ないけども、
原作にはラオが刺したのは致命傷とある
だからアッシュのラストは自殺ではないと明確に言える
アニメも良かったけど、作品を気に入った方には原作も読んでほしいと思いました

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匿名

元になったニューヨークの図書館は建物の3階にあるから、そこまで登ったんだよね・・・

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匿名

原作にある「急所を外しやがって」「そしてお互い助からねえ」というラオとアッシュの会話がカットされてます。
死を選んだ、と言うよりは助からないことを悟って静かなお気に入りの場所で英二の手紙を読むことを選んだ。
英二が安全な母国に帰った事に安堵してる、というのは勿論あるでしょうが「かつて英二の座っていた席」に着いて「魂は傍に居る」と言う言葉を貰って幸せだったのだと思います。

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匿名

まずは管理人様、長文の記述、お疲れさまでした。
大変、興味深く拝察しました。後日の加筆も楽しみにお待ちしています。
一つ、わかりにくかったのが、上記コメントが海外のどなたかの反応なのか、管理人様個人のものなのか、ということです。
翻訳ならば、元になった方の概要(国籍や性別)などが分かれば幸いです。
私の不注意で見落としていたら、ごめんなさい。
個人的な意見を発信されるのであれば、それも是非、拝読したいです。
ご負担にならない範囲で、よろしくお願いします。

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管理人たらこ

コメントありがとうございます。
これは海外の方のコメントなんですが、24話のスレッド内で一番人気のコメントだったので優先して訳しました。
subredditでは日本人の方がまた別の解釈を解説されていますね。

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匿名

お返事ありがとうございます。
これだけの量を翻訳してもらえると信じがたかったので、もしやご自身の感想なのかな?と思ってしまいました。大変失礼しました。
なるほど。一番人気なだけあって、考察が深い上、作品に対しての愛情を強く感じます。
読めて幸せです。続きも楽しみにしておりますね。

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匿名

管理人さんの解釈、面白く拝読しました。
確かにそう考えられるかも!と思う部分もあれば、う~ん?と思う部分もあったりして、改めて色々な解釈が出来る深い作品なんだなと思えました。
でもどれが正しくてどれが間違ってるという訳じゃないんですよね。
ただ、それでももしアッシュが生きていてくれたら…という思いは拭えません。

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匿名

BANANA FISHはあの結末を含め、色々な考察ができる作品ですから、
人によって解釈の仕方は様々ですね。
「主人公の死」の捉え方は、日本と海外では文化的な違いをより感じます。
「悲劇」はアメリカ的ですし、「敗北」はヨーロッパ的な考え方ですかね。
個人的に、あの結末は「恐ろしい悲劇」でも「敗北」でもなく、
英二からの手紙によって、アッシュの魂が孤独から解放されたのだと思っています。
「愛」と「自由」を手に入れたアッシュにとって、
幸せな最期だったのではないでしょうか。

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匿名

ここまでの長文考察・感想を書いてもらえるなら
作品としてはきっと幸せなのでは

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匿名

個人的には、ラオの最期の言葉が、アッシュが積み重ねてきた罪悪感と自己否定の最後のピースになってしまったのかなと思っています。

アッシュは自分を刺したラオに撃ち返しましたが、これは身を守る行為であり、この時点では生きる意志はあったのかと。(結構間があったので、おそらく咄嗟の反撃ではなく相手を認識した上での発砲でしょう)
ところが、ラオは自分への憎しみを募らせて殺しに来たかと思いきや、最期の言葉で「シンを守る為」思い詰めての犯行だったことが分かってしまう。

仲間であるシンの大切な兄であり、グリフと同じく深く弟を愛するラオを殺してしまった罪悪感、又は前日にブランカに語っていた「何も感じずに人を殺せる自分」を改めて突きつけられて絶望する気持ちもあったかもしれません。

ともあれ、アッシュはこれまで生き抜こうとしぶとく抗ってきたのに、最後は抵抗することなく、あっさりと死を受け入れてしまったように私にも見えました。ここが自分の死に場所だと。

とにかく、色々と考えさせられるラストでしたね。加筆も楽しみにしております。

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匿名

追記です
誰よりも「兄」の存在を求めてきたアッシュが「兄」に引導を渡されるのは、運命の皮肉を感じつつ、ある種の救いでもあったようにも感じます。
自己犠牲の覚悟で弟を守ろうとしたラオにグリフを重ねて、その思いに殉じる気持ちもあったかも…?
考え出すと止まりません^^;

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匿名

自分の中にはなかった解釈で、興味深く読ませて頂きました。

個人的な意見ですが、アニメスタッフが最後に「ライ麦畑~」を持ってきたのは、英二をライ麦畑のキャッチャー役に見立て、崖から落ちそうになっている人=アッシュを、闇に落ちないよう捕まえる、という意味を込めているのではないかと思っています。

改めて気づいたのですが、英二の身が危険でない状況で、アッシュの方から英二を追いかけたのは、最後のあのシーンだけなんですね。
兄グリフの復讐に向かう時も、オーサーとの決闘の時も、月龍の策でゴルツィネの元に戻る時も、アッシュは英二を巻き込まぬよう遠ざけようとし、その度、英二が彼の元に駆けつけています。

アッシュにとって英二は、特に後半は「信仰」にも等しい存在で(英二が出雲(神々の国)出身だと話した影響もあるのかも)、ラオに刺された時、もしかしたら、そういう気後れが出てしまったのかもしれません。(やはり自分は英二の側に行くことが許されない人間なんだ)というような。
初めて自分の方から英二を追いかけようとした矢先のことだけに、肉体だけでなく精神的なダメージも、かなり大きかったと思います。

 図書館は、唯一アッシュが独りになれ、素を出せる場所だったのでしょう。英二を追うのを諦めた直後、彼の方から「僕の魂は常に君と共にある」と手紙で告げられた時のアッシュの幸福感は(もうここで死んでも悔いはない)と思うほどのものだったはずです。

 最後に、アッシュを殺したことで、多くの人に嫌われてしまったラオについて弁護したいのですが、ラオの視点で考えてみれば、親友のショーターは、アッシュに協力したことが原因でむごい死に方をし、同じ道を、今度は弟のシンまで辿ろうとしているように見えて、気が気ではなかったと思います。
アッシュを刺したのもシンを助けたい一心からですし、月龍に英二を殺すよう命令されても「素人のガキは殺せない」と断る漢気だってあるのに、損な役回りだなあ・・・と、可哀想になりました。

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匿名

なんというか…うん、日本人と外国人とでは解釈どころか考え方そのものが根本的に違うのだと改めて認識させられるね

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匿名

アッシュの死を回避する方法は色々あると思います。一番あり得そうで簡単な方法から。
・BF解決後、すぐにシンがラオを探し出し決闘が無くなった事やBFの真相を話す。ユエルンに会う暇があったんなら先にこれをしてほしかった。でもきっと兄弟仲の気安さから、ラオの心中を慮るよりも、いつかは分かってくれるという期待があったんだろうなと思います。そこがまだボスになりたての15、16歳の若さゆえだったのかと。
・英二がシンに手紙を託さずに自分でアッシュに会いに図書館に行く。なんとか伊部さんを撒いてシンやアレックス達の助けがあれば
車イスでも市内に戻ることは可能だったはず。図書館までたどり着ければアッシュも英二を目の前にして逃げ隠れはしなかったでしょう。英二と直に話すことが出来ればアッシュがスキを見せることはないと思うし、時間があればシンとラオが話合う機会も出来たと思う。
・ブランカの誘いにのってアッシュがカリブに行く。英二のことは生きてさえいれば時間が解決してくれた思う。
・別の図書館書士か他の利用者がアッシュの状態に気づき救急車を呼ぶ。ギリギリかもしれないけど、出血多量なら救急車内でも輸血が出来るので助かる確率は高いと思う。
・アッシュ自身が通行人へ助けを呼ぶか自分で911に電話する。漫画・アニメでは無人のようでしたが市立図書館横の路地は本当はけっこう人通りがあります。アメリカでは事件性があると見て見ぬふりされそうですが、助けを呼べば誰かしら911くらいはしてくれたと思います。でもアッシュ自身に助かる意思がなかったからこれは一番可能性が低いでしょうね。

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匿名

原作未読
アッシュの死に顔は幸せを掴み取った象徴的なものだと個人的には思う。
アッシュに与えられたのは無償の愛とエイジと言う帰るべき安息の地。
エイジの無事とこれからの平穏は=アッシュの平穏でもあると解釈する。
手紙の内容は覚えていないけどそんな感じの事書いてあった気がするし完璧な解釈だろう。

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匿名

原作未読でろくに記憶もないのに「完璧な解釈」なんてよく言えるよw光の庭を読んだらそんな言葉言えないはず。
原作とアニメじゃアッシュや英二の性格すら全然違う。アッシュ自身は幸せに死ねたけど、英二とシンにとってはアッシュを殺した罪悪感と喪失感をもって人生を生きないといけなかった。アッシュは愛することは知ってても愛されることは知らなかったから仕方ないのかもしれないけど「残される者」のことをまったく考慮しなかったのだけが許せないところ。彼の中では英二はアッシュがいなくなったら日本でハッピーに生きられる「残されてはいない者」にされてしまった。

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